みなさん、おはようございます!こんにちは!こんばんは。Jindyです。
悪を描くことと、悪を売ることは、似ているようでまったく違います。
犯罪、差別、暴力、過激思想、反社会的な人物。エンターテイメントは昔から、こうした題材を扱ってきました。むしろ、人間の暗い部分を描かない物語の方が珍しいくらいです。では、どこから先が危ないのか。
ここを感情論だけで考えると、すぐに二択になります。表現の自由を守れ。いや、有害なものは規制しろ。けれど、研究を追うと論点はもっと細かい。問うべきなのは、悪を出したかどうかではなく、悪に何を与えたかです。
名声を与えたのか。普通に見える場所を与えたのか。模倣しやすい情報を与えたのか。被害や代償を消して、本人だけを魅力的に見せたのか。
この見方は、メディアの話だけにとどまりません。企業の不祥事対応、経営者の発言、SNS運用、投資先のガバナンスを見るときにも、そのまま使えます。会計でも同じです。数字そのものより、その数字をどう見せるかで受け手の判断は変わる。売上が同じでも、総額表示と純額表示では事業の見え方が違う。損失を一時要因として切り離すのか、構造問題として説明するのかでも印象は変わります。
つまり、情報には内容だけでなく、見せ方という二つ目の数字がある。
このブログでは、メディアが社会規範をどう動かすのかを、社会心理学、犯罪研究、自殺報道、メディア研究から掘り下げます。そのうえで、会計・投資・経営の視点から、なぜ悪の可視化がときに社会の基準線を下げるのか、そして何をもって健全な表現と呼べるのかを考えていきます。
社会規範は、意見より先に動く – 人は正しいものより、普通に見えるものへ引っ張られる

社会の空気が変わるとき、全員の思想が一斉に入れ替わるわけではありません。もっと静かに進みます。
昨日まで人前では言いにくかったことが、今日は少し言いやすくなる。以前なら眉をひそめられた行為が、最近よく見るからという理由で、そこまで異常ではないように感じられる。
この変化を理解する鍵が、社会心理学でいう記述的規範です。
人は、正しさより周囲の標準を見ている
人間は、自分で全部を判断しているつもりでも、実際には周囲の行動をかなり参照しています。
みんながやっている。
みんなが許している。
みんなが笑って見ている。
この情報は、本人の道徳観とは別のルートで効いてきます。
BoletとFoosの研究では、英国と豪州の1万人超を対象に、極端な政治的主張を含むインタビューへの接触がどのように受け止められるかを調べました。極端な主張を無批判に提示すると、本人の賛同だけでなく、他の人もその考えを支持しているだろうという認識が上昇しました。 (cambridge.org)
ここが厄介です。
自分が賛成するかどうかより先に、世の中ではこれくらい普通なのかもしれない、という基準線が動く。
会計にたとえるなら、利益そのものではなく、比較対象が変わるようなものです。100億円の利益が大きいか小さいかは、前年、予算、同業他社との比較で決まる。社会規範も同じで、人は絶対値ではなく相対値で判断します。
本当に動くのは、心より発言のハードル
もう一つ面白いのが、Álvarez-Benjumeaの研究です。
オンライン上で排外的なコメントを見た人は、その後、自分自身も排外的なコメントを書きやすくなりました。とくに変化が大きかったのは、もともとそうした考えを持っていた人です。 (academic.oup.com)
つまり、メディアが人間の価値観をゼロから作ったというより、すでにあったものを表に出しやすくした。
これは企業でもよく起こります。
ルール違反をする社員が一人現れ、その人が処分もされず、むしろ成果を出して評価されている。すると、翌日から全員が違反者になるわけではありません。でも、やってもいいのかもしれないという空気が生まれる。
内部統制が壊れるときは、規程が突然消えるのではなく、規程を守らなくても大丈夫という期待が積み上がるところから始まります。
メディアが作るのは、意見ではなく共通知識
Ariasの研究では、メディアの力を個人への説得だけでは説明できないとされています。
ポイントは、みんなが同じ情報を見たと知ることです。
自分だけが知っている情報なら、人は行動を変えにくい。しかし、他の人も見ている、他の人も知っている、と分かると、その情報は共通知識になります。Ariasはメキシコでの実験を通じて、メディアが個人への情報伝達だけでなく、他者も同じ情報を受け取っているという社会的な経路を通じて規範や行動に影響し得ることを示しています。 (cambridge.org)
投資の世界で考えると分かりやすい。
ある銘柄が割安だと自分だけが思っている段階では、株価は動きません。市場参加者の多くがその情報を知り、さらに他の人も知っていると認識して、初めて価格が大きく動く。
社会規範もよく似ています。
同じ反社会的な言動でも、閉じた場所にあるときと、巨大なプラットフォームの目立つ場所に置かれたときでは、社会的な意味が変わる。視聴者は内容だけでなく、こんな場所で堂々と扱われているという事実まで受け取るからです。
ここまで見ると、危険なのは悪を見せたことそのものではありません。
人間は、露出の回数を社会の承認と取り違えることがある。そして、承認されたように見えるものは、今度は発言や行動のハードルを下げる。
経営でいえば、社長が何を言ったかだけではなく、何を黙認したかが文化を作るのと同じです。規範は文章で作られるだけではない。何を目立つ場所に置き、何を放置し、何に拍手が起きたか。その積み重ねで作られます。
悪は、露出した瞬間に商品になる – 名声、報酬、模倣可能性まで設計してはいけない

反社会的な人物を扱うとき、もう一段深い問題があります。
それは、露出そのものが報酬になるケースです。
普通の商品なら、売れれば企業に利益が入る。動画なら、再生されれば広告価値が生まれる。人物なら、知られることで名声が生まれる。
この構造に、犯罪者や過激な人物を乗せたとき、メディアは意図せず報酬を支払ってしまうことがあります。
名声は、現金でなくても報酬になる
大量殺傷事件を研究してきたLankfordとMadfisは、加害者の名前や顔を過度に反復して報じることの問題を指摘しました。
一部の加害者にとって、目的の一つが注目や名声であるなら、報道がその欲求を満たしてしまう。彼らは事件そのものを報じないのではなく、加害者の名前や写真を必要以上に反復しないという報道方法を提案しています。 (journals.sagepub.com)
これは会計で考えると、非常に分かりやすい話です。
企業は、どんな行動に報酬を払うかで社員の行動を変えます。売上だけを評価すれば、粗利を無視した安売りが増える。短期利益だけを評価すれば、将来投資が削られる。数字の設計を間違えると、人は制度が望んでいない方向へ最適化します。
メディアも同じです。
注目という報酬を、誰に配るのか。
ここを間違えると、社会が望んでいない行為に対して、巨大な非金銭報酬を支払うことになります。
模倣は、思想より手順から起きる
Towersらの研究では、米国の大量殺傷事件や学校銃撃について、事件後およそ13日間、類似事件の発生確率が一時的に高まる自己励起的なパターンが報告されました。 (journals.plos.org)
ただし、ここは慎重に読まなければいけません。
時間的な連鎖が確認されたからといって、すべてがメディア報道による模倣だと断定することはできない。銃へのアクセス、社会環境、オンライン上の交流、個人の心理状態など、多くの要因が絡みます。
それでも、犯罪や自傷行為の報道では、方法や手順を細かく出しすぎないという考え方が採られています。
理由は単純です。
思想に共感しなくても、やり方を知れば実行可能性だけは上がる。
投資でも同じです。ある戦略を概念として知っているだけなら動かない人でも、銘柄名、売買タイミング、レバレッジのかけ方まで示されると、急に行動に移しやすくなる。
情報は、理解を深めるだけでなく、実行コストを下げます。
被害を消すと、損益計算書が壊れる
ここで僕が会計的に一番気になるのは、悪を描くときにコスト側が消えることです。
犯罪者の思想、個性、孤独、背景、カリスマ性だけを描き、被害者の損失、周囲への影響、社会的コストを薄くする。
これは、売上だけ計上して売上原価を落とすようなものです。
企業分析でそんな決算を見たら、誰でもおかしいと分かる。
なのに、物語になると同じことが起きる。
人物の魅力はフルに認識する。一方で、その人物が生んだ損失は注記扱いになる。すると、受け手の頭の中では、その人物の損益計算書が黒字に見えてしまう。
ここ、かなり危ない。
悪を描くなら、収益だけでなくコストも載せる。行動の結果まで描いて、初めて全体像になります。
情報を社会に出すことは、単なる展示ではありません。
名声、承認、模倣可能性、収益化。いくつもの報酬が同時に動きます。
投資家が企業を見るとき、売上成長だけでなく、その成長を生んだインセンティブまで見る必要があるのと同じです。数字が伸びていても、その裏で無理な営業、コンプライアンス違反、将来損失が積み上がっているなら、その成長は質が悪い。
エンターテイメントも、再生数だけで測ると同じ落とし穴にはまります。
描く自由と、増幅する責任は別物である – 規制か放任かの二択から降りる

ここまで読むと、有害なものは見せない方がいいという結論に行きたくなります。
でも、それも雑です。
人間の暗い部分を描かない作品ばかりになれば、社会理解はむしろ浅くなる。犯罪、差別、戦争、依存、暴力を扱わずに、人間を語るのは無理があります。
問題は、存在を消すことではなく、どう編集するかです。
批判的に描けば、効果は変わる
BoletとFoosの研究では、極端な政治的主張に対してインタビュアーが批判的に問い返す条件も検証されています。
結果として、無批判に提示した場合に見られた本人の賛同増加は、批判的なインタビューによって抑えられました。一方、他の人もその主張を支持しているだろうという認識への影響は完全には消えていません。 (cambridge.org)
同じ人物を出しても、構成次第で受け手への影響が変わる。
つまり、出演させた時点ですべて終わりではありません。
問い返す。
事実関係を検証する。
反論を置く。
被害を描く。
結果を見せる。
編集には、社会的な意味があります。
決算説明資料もそうです。数字を並べるだけなら、都合のいい説明はいくらでも作れる。だから投資家は、前年同期比だけでなく、キャッシュフロー、セグメント、特殊要因、将来見通しまで見る。
情報は、文脈から切り離すと簡単に化けます。
自殺報道が示した、表現の設計という考え方
この分野で研究の蓄積が厚いのが自殺報道です。
著名人の自殺などの報道と、その後の自殺増加との関係はウェルテル効果として研究されてきました。一方、危機に直面した人が対処し、困難を乗り越える物語には保護的な効果があり得ることも報告されています。後者はパパゲーノ効果と呼ばれます。Niederkrotenthalerらの研究は、この二つを同じメディア研究の中で検討した代表例です。 (pubmed.ncbi.nlm.nih.gov)
同じ自殺という題材でも、何を中心に描くかで意味が変わる。
WHOの2023年版メディア向けガイドラインも、報道そのものを禁止しているわけではありません。センセーショナルな扱いや方法の詳細を避け、危機を乗り越えた事例や支援につながる情報を伝えることを勧めています。 (who.int)
ここにヒントがあります。
有害な題材だから消すのではなく、有害な増幅の仕方を避ける。
この発想の方が、表現の自由と社会的責任を両立しやすい。
フィクションなら安全、現実なら危険という線も引けない
もう一つ、簡単な二分法があります。
実在の悪は危険。
フィクションの悪なら問題ない。
でも、研究はそこまできれいに分かれていません。
暴力的ゲームと攻撃性の関係については、影響を認めるメタ分析もあれば、実質的な長期影響を支持しない研究もあります。Andersonらは攻撃行動や攻撃的認知などへの影響を支持しています。一方、PrzybylskiとWeinsteinの事前登録研究では、英国の若者を対象に有意な関連を確認できませんでした。Drummondらの縦断研究のメタ分析も、長期的な攻撃行動への実質的な関連を支持していません。 (pubmed.ncbi.nlm.nih.gov)
つまり、フィクションを見たら犯罪者になる、とは言えない。
ここを飛ばしてしまうと、表現規制の議論はすぐ雑になります。
見るべきなのは、現実か架空かというラベルではありません。
賞賛しているか。
普通に見せているか。
報酬を与えているか。
模倣を容易にしているか。
被害や代償まで描いているか。
こちらの方が、はるかに実務的なチェックポイントです。
規制か放任か。
この二択にすると、議論はたいてい壊れます。
企業統治でも同じです。すべてを禁止事項で縛れば組織は動かない。しかし、何でも自由にすれば内部統制は崩れる。だから企業は、権限、牽制、開示、監査を組み合わせます。
表現の世界にも似た発想が必要なのでしょう。
何を描けるかではなく、何を増幅し、誰に報酬を与え、どんな規範を残すのか。その設計まで含めて作品の品質だと見る。僕は、その方がずっと成熟した議論だと思います。
結論 社会は、何を禁止したかより、何を普通にしたかで変わる
会計を長く見ていると、数字そのものより怖いものがあります。
基準が変わることです。
去年なら異常だった赤字が、今年はみんな赤字だから仕方ないになる。以前なら高すぎると感じたバリュエーションが、市場全体が上がると普通に見える。企業の不祥事も、業界ではよくある話だと言い始めた瞬間に、基準線が一段ずれる。
人間は、絶対値より相対値に弱い。
だから社会の規範も、一夜で壊れる必要はありません。
少しずつ普通になるだけでいい。
昨日なら違和感があった。
今日は見慣れた。
明日は誰かが真似する。
その翌日には、なぜ問題なのかを説明する側が古い人扱いされる。
もちろん、何でも禁止すればいいわけではない。悪を描けない社会は、悪を理解する能力まで失います。
でも、表現の自由を守ることと、無責任に拡散することは同じではない。
投資家は、数字を見るだけでなく、その数字を作った仕組みを見る。
会計士は、利益を見るだけでなく、認識基準を見る。
経営者は、成果を見るだけでなく、どんな行動に報酬を払ったかを見る。
同じ目線を、情報にも持った方がいい。
何が語られたか。
誰が注目を得たか。
何が普通に見えるようになったか。
そして、その結果、社会の基準線はどちらへ動いたのか。
社会の質は、大げさなスローガンで決まるものではありません。
毎日、何を見せ、何に拍手し、何を見慣れていくか。
その小さな会計処理の積み重ねで、最後に残高が決まる。
たぶん、社会規範も同じです。
社会の基準線を、もう一段深く考えるための5冊
1.『影響力の武器[新版] 人を動かす七つの原理』ロバート・B・チャルディーニ
人はなぜ、周囲の行動や権威、希少性といった情報に判断を引っ張られるのか。本書は社会心理学の知見をもとに、人を動かす七つの原理を整理しています。なかでも本文の記述的規範と直結するのが社会的証明です。他人が選んでいる、支持しているという事実そのものが判断材料になる構造を理解すると、再生数、口コミ、株式市場の人気、社内の多数派がなぜこれほど強く見えるのかがつながってきます。メディアの影響を心理の側から掘り下げたい読者に向く一方、説得をすべて悪と捉えず、マーケティングや交渉でも使われる中立的なメカニズムとして理解できるところが、ほかの4冊との違いです。
2.『プロパガンダ 広告・政治宣伝のからくりを見抜く』A.プラトカニス、E.アロンソン
広告、政治宣伝、カルト、言葉の使い方、伝達者の信憑性、メッセージの反復まで、集団規模の説得がどう設計されるかを社会心理学から扱う本です。本文では、悪を描くことよりも、どのような舞台を与え、どう反復し、誰を魅力的に見せるかが問題だと考えました。本書は、その編集の裏側を歴史と心理の両面から追えます。古い本だからこそ、SNS以前から同じ技法が存在していたことも見えてくる。新しいメディアだけを犯人にしたくない読者や、情報操作と正当な説得の境界を考えたい人に向いています。個人の認知よりも、大衆へ情報を届ける側の設計思想へ視点を移せるのが、この5冊の中での特徴です。
3.『はじめてのニュース・リテラシー』白戸圭一
情報が社会に広がるとき、発信者の意図だけでなく、ニュースを作る仕組みそのものを理解しておく必要があります。本書はフェイク、陰謀論、偏向、忖度といった話題だけでなく、そもそもニュースとは何か、何が報じられ何が報じられないのか、事実の信用度をどう考えるのかまで扱います。本文を読んで、メディアが規範を動かすなら報道は危険なのでは、と感じた人ほど相性がいい。メディアを一括して悪者にせず、情報が選択・編集される工程を知ったうえで受け手側の判断力を鍛えられます。社会心理学中心の本とは違い、ニュースの現場とジャーナリズムという制度側から問題を眺められる入門書です。
4.『指導者(リーダー)の不条理 組織に潜む「黒い空気」の正体』菊澤研宗
本文で触れた、規程が消えなくても規程を守らなくていい空気が組織を壊す、という話を経営側から深掘りするなら、この本につながります。著者は、人や組織が非合理だから失敗するのではなく、それぞれが合理的に判断した結果として沈黙や黒い空気が生まれ、組織全体が不条理な方向へ進む構造を、経済学、経営学、哲学から分析しています。粉飾、不正、ガバナンス不全を見るときも、悪い人を探すだけでは足りません。なぜ止められなかったのかを見る必要がある。本書はメディア論そのものではありませんが、社会規範の問題を企業文化、内部統制、経営者の意思決定へ持ち込める点で、仕事や企業分析につなげたい読者に面白い位置づけです。
5.『情報を正しく選択するための認知バイアス事典 行動経済学・統計学・情報学 編』情報文化研究所、高橋昌一郎監修
アンカリング、サンクコスト、メンタルアカウンティング、生存者バイアス、利用可能性ヒューリスティックなど、人間が判断を誤るパターンを行動経済学、統計学、情報学の三方向から整理しています。本文のテーマを投資や会計へ最も直接つなげやすい一冊です。なぜ繰り返し目にする情報を重要だと思うのか。なぜ目立つ成功例だけで投資判断をしてしまうのか。なぜグラフや平均値の見せ方で印象が変わるのか。メディアに操作されないためだけでなく、自分自身が数字を都合よく読んでいないかを確認する道具になります。理論を一つの長い議論として読む他の本と違い、必要なバイアスを辞書のように引きながら使える実務寄りの構成です。
社会心理学から入りたいなら『影響力の武器[新版]』、メディアと大衆説得の歴史まで踏み込みたいなら『プロパガンダ』、ニュースを受け取る側の基礎体力をつけたいなら『はじめてのニュース・リテラシー』から入ると読みやすいと思います。仕事や経営の現場で、なぜおかしいことが止められなくなるのかに関心があるなら『指導者(リーダー)の不条理』。そして投資、会計、データを見る力までつなげたいなら『情報を正しく選択するための認知バイアス事典』が近い。それぞれ入口は違いますが、5冊を横に並べると、情報を発信する側、受け取る側、組織、メディア、数字という異なる場所から、社会の基準線がどう作られるのかが立体的に見えてきます。
それでは、またっ!!
引用論文・参考文献
- Bolet, D., & Foos, F. (2025). Media Platforming and the Normalisation of Extreme Right Views. British Journal of Political Science, 55, e103. (cambridge.org)
- Álvarez-Benjumea, A. (2023). Uncovering hidden opinions: social norms and the expression of xenophobic attitudes. European Sociological Review, 39(3), 449–463. (academic.oup.com)
- Arias, E. (2019). How Does Media Influence Social Norms? Experimental Evidence on the Role of Common Knowledge. Political Science Research and Methods, 7(3), 561–578. (cambridge.org)
- Lankford, A., & Madfis, E. (2018). Don’t Name Them, Don’t Show Them, But Report Everything Else: A Pragmatic Proposal for Denying Mass Killers the Attention They Seek and Deterring Future Offenders. American Behavioral Scientist, 62(2), 260–279. (journals.sagepub.com)
- Towers, S., Gomez-Lievano, A., Khan, M., Mubayi, A., & Castillo-Chavez, C. (2015). Contagion in Mass Killings and School Shootings. PLOS ONE, 10(7), e0117259. (journals.plos.org)
- Niederkrotenthaler, T., et al. (2010). Role of media reports in completed and prevented suicide: Werther v. Papageno effects. British Journal of Psychiatry, 197(3), 234–243. (pubmed.ncbi.nlm.nih.gov)
- World Health Organization. (2023). Preventing suicide: a resource for media professionals, update 2023. (who.int)
- Anderson, C. A., et al. (2010). Violent video game effects on aggression, empathy, and prosocial behavior in Eastern and Western countries: A meta-analytic review. Psychological Bulletin, 136(2), 151–173. (pubmed.ncbi.nlm.nih.gov)
- Przybylski, A. K., & Weinstein, N. (2019). Violent video game engagement is not associated with adolescents’ aggressive behaviour: evidence from a registered report. Royal Society Open Science, 6, 171474. (pubmed.ncbi.nlm.nih.gov)
- Drummond, A., Sauer, J. D., & Ferguson, C. J. (2020). Do longitudinal studies support long-term relationships between aggressive game play and youth aggressive behaviour? A meta-analytic examination. Royal Society Open Science, 7, 200373. (pubmed.ncbi.nlm.nih.gov)
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