責任という名の飛び火を、会計で考える

みなさん、おはようございます!こんにちは!こんばんは。Jindyです。  

誰かが不祥事を起こしたとき、世の中は犯人探しを始める。

もちろん、被害者がいるなら責任追及は必要だ。会社ぐるみの不正なら、経営陣が逃げるのも違う。内部統制を語るなら、トップの責任は避けられない。

でも、ここで一つだけ面倒な問題がある。

責任は、どこまで広がるのか。

実行した人。
見ていた上司。
止められたはずの役員。
同じ会社の一社員。
株を少し持っていただけの株主。
関係ない業務を受けていた外部委託先。
そして、その人たちの家族。

ここを全部まとめて悪の一味と呼ぶのは簡単だ。SNSなら一秒でできる。けれど、その一秒の断罪には、かなり雑な会計処理が混ざっている。

本来なら個別に認識すべき負債を、まとめて一括計上している。しかも根拠資料なし。監査人なら首をかしげるやつだ。

この文章で扱いたいのは、誰かをかばう話ではない。責任逃れの理屈でもない。

むしろ逆だ。

本当に責任を問うなら、責任の濃さを見誤ってはいけない。

経営者には経営者の責任がある。
社員には社員の距離がある。
株主には資本を置いた者としての重みがある。
家族には背負わせてはいけない境界線がある。

この線引きを持つと、ニュースの見え方が変わる。炎上への反応も、投資判断も、会社を見る目も変わる。

不祥事とは、単なる倫理の事故ではない。
組織のBSに長年積み上がった見えない負債が、ある日いきなりPLに落ちてくる現象だ。

この視点を持つだけで、正義感に飲まれにくくなる。
そして、自分がいつか遠い当事者になったときにも、言葉で自分を焼かずに済む。

責任は感情ではなく、距離と権限で測る

不祥事が起きると、人はまず怒る。

怒りそのものは悪くない。被害があるなら当然だ。問題は、怒りが便利すぎることにある。怒りは細かい分類を嫌う。経営陣も社員も株主も家族も、同じ色で塗りたがる。

でも、責任は絵の具ではない。
会計でいうなら勘定科目だ。

役員責任、使用者責任、道義的責任、評判責任、未来の是正責任。似ているようで、全部違う。混ぜると、責任追及はすぐ私刑へ変わる。

経営陣の責任は、かなり濃い

経営陣の責任が重いのは、偉いからではない。権限を持っているからだ。

予算を配る。
人を置く。
ルールを作る。
報告ラインを設計する。
監査や内部統制にリソースを割く。

これらは、一般社員にはできない。だから経営陣は、不祥事を自分で実行していなくても問われる。現場が勝手にやりました、では済まない場面がある。

会計でいう内部統制は、きれいな規程集を置くことではない。異常値に気づく仕組み、承認が形だけにならない設計、声を上げた人が損をしない空気まで含む。

ここ、落とし穴です。

不正はたいてい、ある日突然生まれない。
売上目標がきつい。
現場の人手が足りない。
上は結果だけ見る。
まずい数字は報告しにくい。
昔からこれでやってきたが免罪符になる。

こういう小さな歪みが、毎期少しずつ資産のように積み上がる。帳簿には出ない。でも組織の中には残る。そしてある日、不祥事という形で減損する。

だから経営責任とは、人格攻撃ではない。
仕組みを作る立場にいた人間へ、仕組みの失敗を問うことだ。

一般社員への一括請求は雑すぎる

では、同じ会社の社員はどうか。

ここで一気に責任は薄くなる。もちろん、関与していた人は別だ。知っていたのに隠した。資料を改ざんした。違法な指示を出した。これは個人の責任になる。

ただ、部署も違う、権限もない、情報もない人まで、会社の一員だから同罪と扱うのは無理がある。

会社は一枚岩ではない。

本社、現場、管理部門、営業、子会社、派遣、契約社員。見ている情報が違う。触れるシステムも違う。知ろうとしても知れないことは普通にある。

それでも世間は言う。
同じ会社なんだから知っていたんじゃないの、と。

いや、知らないものは知らない。
これは逃げではなく、事実の問題だ。

ただし、社員にもゼロではない責任が残る場合がある。それは過去の犯行責任ではなく、未来の是正責任だ。会社に残るなら、再発防止を自分の持ち場で支える。変な承認を見たら止める。違和感を言語化する。

普通の社員にまで過去の罪を背負わせる必要はない。
でも、これからの組織を少しマシにする責任は、持ち場の広さに応じてある。

責任のものさしは四つで足りる

責任の濃さは、だいたい四つで見ればいい。

関与したか。
知っていたか、知り得たか。
止める権限があったか。
利益を受けていたか。

この四つだ。

経営陣は、知り得た、止められた、利益も受けた、になりやすい。だから責任が濃い。

一般社員は、部署によって変わる。見えていた人と、全く見えなかった人を同じにしてはいけない。

株主は、利益を受けることはある。でも経営を日々動かす権限は薄い。小口株主ならなおさらだ。

家族は、関与がなければ基本的に外側にいる。血がつながっていることは、内部統制上の権限ではない。

この四つのものさしを持つと、批判の精度が上がる。怒りの声量ではなく、責任の厚みを見る。


責任は、遠くに行くほど薄まる。

ただし、遠いから必ずゼロでもない。近いから必ず有罪でもない。

大事なのは、近さの正体を見ることだ。肩書なのか。権限なのか。情報なのか。利益なのか。ここを見ない批判は、ただの雑な連帯保証になる。

株主と委託先の責任は、資本と仕事のつながりで変わる

ここからが投資と会計の話になる。

株主は会社の持ち主だ。だから会社が悪いことをしたら株主にも責任がある。そう言いたくなる気持ちはわかる。

でも、それをそのまま言い切ると、資本主義の仕組みを少し雑に扱うことになる。

株主には有限責任がある。会社の損失は株価下落や配当減で受けるが、通常、出資額を超えて会社の責任を背負うわけではない。ここは制度の骨格だ。

ただ、法的責任が薄いから、何も考えなくていいわけでもない。

このねじれが面白い。

小口株主は加害者ではない。でも完全な観客でもない

上場株を少し持っているだけの人に、会社の不祥事を全部背負わせるのは無理がある。

日々の業務を決めていない。
役員人事に実質的な影響力もない。
不祥事の中身も報道で初めて知る。
そんな人に、お前も責任を取れと言うのは、法的にも道義的にも重すぎる。

ただし、株主は完全な観客でもない。

株を持つとは、その会社の将来キャッシュフローに自分の資本を乗せることだ。つまり、企業の利益と自分の利益を一部接続する行為になる。

ここで出てくるのが、投資家としての責任だ。

不祥事を知った後も持ち続けるのか。
議決権をどう使うのか。
経営陣の説明に納得するのか。
再発防止策を読んだのか。
安くなったから買う、だけで済ませるのか。

この問いは、法廷の責任ではない。資本の置き方の責任だ。

株主の責任は、過去の犯行に対する謝罪ではなく、未来の企業行動に自分の金をどう接続するかで決まる。

大株主と小口株主を同じにしてはいけない

株主といっても、責任の濃さはまるで違う。

一株だけ持つ人。
インデックスファンド経由で間接的に持つ人。
数%を持つ機関投資家。
経営に口を出せる大株主。
役員を送り込める支配株主。

これを同じ株主という箱に入れると、また雑になる。

会計で関連当事者を見るとき、形式だけではなく実質を見る。議決権、役員兼任、資金関係、取引依存度。要は、どれだけ影響できるかだ。

株主責任も同じでいい。

影響力がある株主ほど、説明責任は濃くなる。影響力のない小口株主を、支配株主のように扱うのは違う。

投資では、ここを間違えると企業分析もズレる。不祥事企業を見たとき、本当に見るべきなのは、誰が株を持ち、誰が経営を支え、誰が沈黙で許しているのか、だ。

株価は一時的に下がる。
でも本当に怖いのは、ガバナンス劣化が割引率を上げることだ。

信用できない会社の将来利益は、同じ一円でも安く評価される。

業務委託先は、関係の種類で見る

不祥事企業と取引していた人や会社はどうか。

これも一括で叩くのは危ない。

たとえば、まったく関係のない業務を受けていた外部委託先が、不祥事の中身を知らず、助けてもいなかった。この場合、責任はかなり遠い。

一方で、不正な資料作成を手伝った。隠蔽に使う仕組みを作った。実態を知りながら名義を貸した。こうなると一気に近くなる。

見るべきは、取引があるかではない。
不祥事と機能的につながっていたか、だ。

この視点は会計にも近い。形式上は外部委託でも、実態として指揮命令を受けているなら別の見方になる。契約書の名前より、実質のリスクとコントロールを見る。

仕事の責任は、請求書の発行先だけでは決まらない。

何を知っていたか。
何を提供したか。
それが不祥事にどう使われたか。
途中で違和感を持てたか。

ここまで見て、ようやく責任の話ができる。


株主も委託先も、遠い外部者に見える。でも、資本や仕事を通じて会社とつながっている。

だからゼロか百かではない。

小口株主を加害者扱いするのは雑だ。
でも、金の置き方に倫理がないとも言い切れない。
無関係の委託先を叩くのは危険だ。
でも、不正を支える機能を担ったなら外部者ではない。

責任は、所属名ではなく接続の強さで見る。
ここが肝だ。

家族まで燃やす社会は、正義ではなく焦げ臭い

いちばん慎重に扱うべきなのが家族だ。

不祥事を起こした人の家族。
批判されている経営者の家族。
問題企業で働く社員の家族。

ここまで火が飛ぶと、責任追及ではなく、ほとんど延焼になる。

もちろん、家族が不正に関与していたなら話は別だ。資金隠し、証拠隠滅、名義貸し、不正利益の受領。そういう行為があれば、関与者として責任を問われる。

でも、ただ家族であるだけなら違う。

家族は内部統制の構成要素ではない。
監査役でもない。
リスク管理委員会でもない。

ここを忘れると、人を守るための正義が、人を壊すための武器になる。

人は集団を一つの生き物として見てしまう

なぜ無関係な人まで責めたくなるのか。

理由の一つは、人間が集団を一つの生き物のように見てしまうからだ。

あの会社の人。
あの界隈の人。
あの家の人。
あのコミュニティの人。

そうまとめた瞬間、一人ひとりの違いが消える。

サッカーチームの一部サポーターが問題を起こすと、ファン全体が悪く見える。会社の一部部署が不正をすると、社員全員が同じ倫理観に見える。経営者が批判されると、家族まで同じ物語の登場人物にされる。

これは脳の省エネだと思う。
でも、省エネで人を裁いてはいけない。

SNSでは、この省エネが加速する。短い言葉ほど強く見える。細かい線引きは伸びにくい。怒りは共有されやすい。だから、本当は区別すべき責任が、全部ひとつの鍋に放り込まれる。

そして、鍋の中で一番弱い人から煮崩れる。

法的責任がない人にも、評判被害は来る

ここが現実のきついところだ。

法的責任がないから大丈夫、では済まない。会社で不祥事が起きれば、社員は取引先や友人から見られ方が変わるかもしれない。株主は、そんな会社に投資していたのかと言われるかもしれない。家族は、名前だけで嫌な目を向けられるかもしれない。

法律上の負債はゼロでも、評判上の負債は発生する。

これは会計でいう偶発債務に似ている。発生確率も金額も読み切れない。でも、存在しないわけではない。しかもSNS時代の評判負債は、発生認識より先に拡散する。

怖いのはここだ。

人は、誰かを批判するとき、自分がその遠い当事者になる可能性をあまり考えない。自分の勤務先、自分の投資先、自分の取引先、自分の家族。どれかが炎上の中心に近づくことは、人生の中で普通にあり得る。

そのとき、自分はこう言えるのか。

私は知りませんでした。
関与していません。
でも、被害を受けた人がいることは重く受け止めます。
自分の立場でできることはします。

これくらいの言葉が、たぶん一番誠実だ。

全部背負う必要はない。
でも、何も感じないふりをする必要もない。

批判にも内部統制がいる

外野から何かを言うな、という話ではない。

むしろ、外部からの批判は必要だ。メディア、消費者、投資家、市民、取引先。外からの圧力がなければ、組織は都合の悪いことを隠す。これはきれいごと抜きで、かなり起こる。

ただ、批判には統制がいる。

事実は何か。
誰に権限があったのか。
誰が知っていたのか。
誰が利益を受けたのか。
誰を責めても再発防止につながらないのか。

この確認を飛ばす批判は、内部統制のない会社と同じだ。勢いはあるが、事故る。

批判は、怒りの排泄ではない。
社会を少しマシにするための設計行為だ。

経営陣に説明を求める。
被害者救済を求める。
第三者調査の透明性を求める。
再発防止策の実効性を見る。
株主なら議決権で意思表示する。
社員なら自分の持ち場の穴を塞ぐ。

ここまで来ると、批判はただの石投げではなくなる。


責任を問うことは必要だ。
でも、責任を広げすぎると、人は壊れる。

家族まで燃やす社会は、強く見えて弱い。怒りの使い方を間違えている。

本当に強い社会は、責任者を逃がさない。同時に、無関係な人を燃料にしない。

この二つを同時にできる社会が、たぶん成熟している。

結論

不祥事が起きたとき、私たちはすぐに誰かを責めたくなる。

それは自然な反応だ。被害者がいる。裏切られた人がいる。信じていた会社に傷つけられた人がいる。怒りを持つな、なんて言えない。

でも、怒りはまっすぐ飛ばすほど危ない。

経営陣には、仕組みを作った者としての重い責任がある。
関与した社員には、当然、本人の責任がある。
知っていた人、止められた人、利益を受けた人は、その距離に応じて問われる。

一方で、知らなかった一社員、小口株主、無関係の委託先、家族まで同じ火で焼いていいわけではない。

責任は、濃淡で見るものだ。
白黒ではなく、グラデーションで見るものだ。

これは甘さではない。
むしろ、責任を本気で扱うための厳しさだ。

会計でも、すべての支出を同じ費用にはしない。資産、負債、引当金、偶発債務、減損、注記。それぞれ性質を見て、分類して、測定して、開示する。

責任も同じでいい。

誰がやったのか。
誰が知っていたのか。
誰が止められたのか。
誰が得をしたのか。
誰がこれから直せるのか。

ここまで見て、初めて言葉を出す。

SNSの時代、正義はすぐに燃える。燃える正義は目立つ。速い。強く見える。

でも、本当に人を救うのは、燃える言葉ではなく、熱を持ったまま精度を失わない言葉だ。

責任を問うこと。
無関係な人を守ること。
被害者を置き去りにしないこと。
組織を変えること。
自分が遠い当事者になった日にも、同じ基準で話すこと。

きっと、そこまでやって初めて、正義は誰かを殴る道具ではなく、社会を少し修理する道具になる。

責任とは、誰かを沈めるための石ではない。

壊れた場所に、もう一度橋をかけるための重さだ。

あわせて読みたい本

1. 企業のリスクマネジメントと不正・不祥事対策 2025年版

企業不祥事を、単なる個人の暴走ではなく、組織文化・内部統制・ガバナンス・社会からの視線まで含めて立体的に見たい人にぴったりの一冊です。
不祥事は起きた瞬間に問題になるのではなく、その前から組織の中に静かに溜まっている。この感覚を持てるようになると、ニュースの見え方が変わります。

経営者、管理職、経理・法務・監査に関わる人だけでなく、投資家にもかなり刺さります。
なぜなら、不祥事は一過性の損失では終わらず、企業価値そのものを削るからです。
このブログで書いた、責任は誰にどこまで及ぶのかを、企業側の実務から深掘りしたい人におすすめです。


2. 今から始める・見直す 内部統制の仕組みと実務がわかる本

不祥事を語るとき、倫理や正義だけで終わらせると薄くなります。
本当に見るべきなのは、承認フロー、職務分掌、報告ライン、モニタリング、システム権限です。

この本は、内部統制を机上の制度ではなく、会社の中でどう動かすかという視点で読めます。
責任を問うなら、誰が悪いかだけでなく、なぜ止まらなかったのかまで見ないといけない。そこに踏み込むための土台になる本です。

会社員として読むと、自分の職場の危うさが見えてきます。
投資家として読むと、決算書の数字の裏にある管理体制が気になり始めます。
不祥事を感情ではなく構造で見たい人に、かなり相性がいいです。


3. 図解 不祥事のグローバル対応がわかる本

不祥事は、いまや本社の中だけで完結しません。
子会社、海外拠点、サプライチェーン、資金調達、人権、ESG。ひとつの会社の問題が、あっという間に国境をまたいで企業価値を傷つけます。

この本は、グローバル企業や上場会社で起きる不祥事について、子会社・グループ会社・取引先・バリューチェーンまで広げて整理しています。
今回のブログで扱った、責任はどこまで広がるのかというテーマとかなり相性がいいです。

特に、取引先や業務委託先まで責任を問えるのかを考えたい人には面白いはずです。
形式的な関係ではなく、実質的に不祥事とどうつながっていたのか。そこを見る目が養われます。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

図解 不祥事のグローバル対応がわかる本 [ 竹内 朗 ]
価格:2,530円(税込、送料無料) (2026/6/14時点)


4. 炎上で世論はつくられる

責任追及と炎上は、似ているようで違います。
責任追及は、事実を確認し、原因を特定し、再発防止につなげるもの。
炎上は、ときに怒りそのものが目的になります。

この本は、炎上・フェイク・陰謀論が社会や政治にどう影響するのかを扱っています。
今回のブログで書いた、無関係な社員・株主・委託先・家族まで燃やしてしまう社会の危うさを、ネット世論の側から考えるのに向いています。

SNSで強い言葉を見ると、つい正しそうに見える。
でも、強い言葉と正しい言葉は違います。
その違いを一度立ち止まって考えたい人に読んでほしい一冊です。


5. 新版 人は、なぜ他人を許せないのか?

誰かの不祥事を見たとき、人はなぜここまで怒るのか。
なぜ、自分と直接関係のない人まで罰したくなるのか。
なぜ、批判しているうちに気持ちよくなってしまうのか。

この本は、そのあたりの人間の怖さを読み解く助けになります。
責任を問うことは必要です。けれど、正義感が暴走すると、責任のない人まで巻き込むことがある。

このブログを読んで、批判する側の危うさにも少し引っかかった人には、かなり刺さると思います。
自分の中にある怒りの扱い方を考える本としても読めます。


それでは、またっ!!

引用論文・参考資料

  • Stanford Encyclopedia of Philosophy, Moral Responsibility:道徳的責任は、単なる因果関係ではなく、行為者の能力・認識・行為主体性との関係で判断されるという整理を参照。
  • Stanford Encyclopedia of Philosophy, Collective Responsibility:集団責任は、個人責任と異なり、集団そのものへの責任帰属や構成員への分配可能性をめぐって議論があるという整理を参照。
  • Internet Encyclopedia of Philosophy, Collective Moral Responsibility:企業不正や集団的損害における集団責任の論点、構成員個人への責任配分の難しさを参照。
  • OECD, G20/OECD Principles of Corporate Governance 2023:取締役会は会社の戦略、方針、財務運営、リスク管理、内部統制を監督する役割を持つという整理を参照。
  • Iris Marion Young, Responsibility and Global Justice: A Social Connection Model:構造的不正義に関して、過去の犯人探しだけでなく、構造に接続する者の未来志向の責任を論じたモデルを参照。
  • Pereira and van Prooijen, Why we sometimes punish the innocent: The role of group entitativity in collective punishment:集団を一体として見るほど、一部構成員の違反に対して集団全体への処罰を支持しやすくなるという研究を参照。
  • Östman and Kjellin, Stigma by association: Psychological factors in relatives of people with mental illness:本人ではなく近しい関係者にまでスティグマが及ぶ現象を考える参考として使用。
  • Gailey, Attribution of Responsibility for Organizational Wrongdoing: A Partial Test of an Integrated Model:組織的不正に対する責任帰属が、個人の行為だけでなく社会的・組織的特徴に影響されるという研究を参照。
  • 会社法104条:株主の責任は、その有する株式の引受価額を限度とするという有限責任の基礎として参照。
  • 民法716条:注文者は、請負人がその仕事について第三者に加えた損害を原則として賠償する責任を負わないが、注文または指図に過失がある場合は例外となるという整理を参照。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です